いつか晴れたら

もう人生折り返してるのかも…そう思ったら自分の半生を綴りたくなりました。

防災、か。

最近ちょくちょく地震が起きてる。

南海トラフも近いのかな、水や食糧を備蓄しとくかな、などと考えていると「生き延びようとしてる自分」が滑稽に思えた。

 

自分自身にもこの世にも、もう未練などないというのに。

 

自分の場合、この世が嫌になったというよりは「こんな生きにくい自分」に嫌気がさしたという感じ。自分が自分でなければさほど嫌な世の中ではないと思う。

 

信じられない

電車の中や飲食店でよく他人から見られるっていう人はある一定数いるみたいだ。

 

視線を感じた方を見たら相手と目が合って、向こうは慌てて視線を逸らす→また視線を感じる→また目が合う→相手、目を逸らすを繰り返すパターンと、目が合ってもなお、相手はこちらをガン見パターンがある。

 

見られて不愉快、という話しはよく見かけるけど、見る側の意見があまり出てこない。見る側は見られる側よりはあまり気にしてないのだろう。

 

人間観察が趣味という人と、電車内でのスマホいじりに興味がなく、本も持ってないから暇で、ある人を見てどこの駅で降りるのか予想してみたり、所作振る舞いを見たりして暇つぶし、という意見を見た。

 

あと、焼肉店で隣のテーブルの夫婦を見て「旦那さんが焦げてしまったお肉をとって、奥さんにいい感じに焼けたお肉をあげていた。奥さんはそれに気づいてありがとうと言っていた」とかいう話を見かけた。

 

ふざけんな。

「ひとのこと、ジロジロみるんじゃないの、失礼でしょ」って、親から習わんかったんか?!

 

見られる側がどれだけ不愉快な思いをしてるか、考えられないんか?!見られること、何も気にしてないとでも?!見られてることに気づいてないとでも思ってんのか?!

 

視線を感じていながらも、目が合うのウザイからそっち見てないだけや!耐えてるねんこっちは!

 

信じられない、ほんとに。

 

今朝、電車で前に座ってる人が見てきて、視線感じたもんだから見たらさっと目を逸らした。斜め前の人も見てきたな。

昼休み、斜め前に座ってきた人も思いっきり見てきたからこっちも見たら、慌てて視線をそらしてた。

こっちがスマホ見てたら顔みても大丈夫と思ってるらしい。いやいや、視線はわかるから!!

 

どいつもこいつも!!

 

見てくんな!!!💢💢💢

絶対にあり得ないだろうけど

自宅の近くに新築の一軒家が建った。

3階建4LDKといったところだろうか。

 

宝くじでも当てたらこのくらいの家を建てて、買い物はネットで済ませたら、外へ出てることなく生きられるなぁなどという不毛な妄想をしたりする。

 

そんな時、家族とでもなく友人とでもなく「そこに一人で住む」という思考になっているところが我ながら病んでるなと思う。私は誰とも関わりたく無いのだ。この容姿で生きていると、そういう思考になるほど人間嫌いになってしまう。

 

4部屋もあれば趣味部屋、トレーニングルーム、猫が好きだから猫部屋なんかを用意すれば飽きずに暮らせるだろう。

 

そんな絶対にあり得ない事を妄想しながら、また人混みにこの身を投じて働きに出かけるのだった。

 

 

 

自分のためではないという言い訳のもとに

ネットで調べてみたら、すれ違いざまにキモいと言われる人はまぁまぁいるようだ。しかも私のように長きにわたりその悩みに苛まれている人もちらほら。

 

言ってる方は何の気無しに心の声を漏らしているだけなんだろうが、言われた方は本当に傷つくのだ。それが朝の通勤途中だったらその日1日気分が悪い。

 

大体にして外で1人で歩いている時に何か言葉を発するというのもよく分からない。自分は家に一人でいても独り言を言わないので。1人で歩いていて、例えばめちゃくちゃかわいい人がいたとして、すれ違いざまに「かわいい」と言うのだろうか?大雨の中出かけなきゃ行けない時に、1人で「最悪だ〜」とか言うのだろうか?大抵の場合、人はそういうことを心の中に留めているんじゃないか。

 

キモいと言う人は相手に聞こえるように言うタイプとすれ違った直後に独り言のように言うタイプがいる。どっちみち聞こえてるから気分が悪いのは同じだが。

前者は少なからず相手への攻撃性が感じられる。キモい奴には攻撃してOKという考えなんだろうか。身の危険を感じないのかと思う。相手を間違えるとトラブルになりかねない。そう考えると、思ったことをポンポン口にしたり危険をかえりみず他人を中傷したりする軽率かつ愚かな人なのかなとも思える。

 

前置きが長くなったが、とにかく人目を避けるように生きることや避けきれなくて中傷されるのがほとほと嫌になってしまったというのに、私はわざわざしんどい思いをして働いてお給料を貰い、そのお金で食べ物を口にしてこの生命を維持している。なんということだろう。

 

毎朝早起きして前日の疲れを引きずりながらも仕事へ向かうというのにその道すがらキモいなどと言われたら、なんでこんな胸くそ悪い思いをしてまで生きながらえなきゃならないんだと思わずにはいられないのだ。

 

30年もの間キモいと言われ続けた私なりの答えは、シンプルである。「自殺ははた迷惑」ということ。人は、誰にも迷惑をかけずに死ぬことはできない。そして、家族にも苦しい思いはして欲しくないということ。

 

というわけで私は自分のためには生きていない。そう考えると幾分か気が楽になるのだ。

 

書いたらいいらしい

もう自分の過去については、書いてると苦しくて辛いからやめた。

 

今月から新しい職場で働き始めたから、それについて。あった出来事、それに対して自分がどう思ったか。なんかそういうのを書き出すって、心理的に良いらしい。

 

 

初日はやはり緊張した。

ひと通りお店の人にご挨拶。店長はお休みだったので副店長に挨拶したところ、いきなりだけどあまりいい顔されなかった。「あー、キモイって思われたかな?」と思った。なんせ私はマスクしていてもすれ違った人からキモイと言われたことがあるから。

 

気になったのは副店長だけで、後の人たちは皆いいかんじで接してくれた。でも、やはり初日は疲れた…

 

今日は2回目の出勤で、昨日よりは落ち着いて一日の流れを見れた。が、またもや副店長がやな感じ。挨拶しても返してなかったような。店長も一緒にいて、店長は面接以来だったので私に気付くなり反応してくれて、あらためて挨拶した感じ。

 

今日初めて顔を合わせる人もいて、その人も最近入ったばかりと言っていて親近感がわいた。今日出勤するまでは正直なところこれから続けられるんだろうかと不安しかなかったけど、今日職場で過ごしているときになんとなく「大丈夫なんじゃないかな」と感覚的に思った。根拠はない。ほんとに肌感覚だけど…

 

帰る直前、私がある事でアレっ?ってなっていると副店長が教えてくれたけど言い方がかなり雑だった。そりゃ私は下っ端だけど、言い方…と思った。どう見たってこちらのほうがだいぶと年上。いや、年や立場が違っても、丁寧に敬語で話す人は話す。この職場はみんな丁寧。店長すら丁寧語なのにこの人は…尊敬できない。

 

でも、どんな職場に変わろうと嫌なことの一つや二つはある。人間関係、仕事内容…それを自分が気にするかどうか。ストレスになるかならないか。

それだけだ。

 

中学時代以降の悩み

小学校高学年からは体力が付いていったこともあって喘息の症状も和らいでいった。自分の記憶としては中学に上がってからはたまに通院はしていたものの、常に薬を飲むってことはなかったのではないか。

 

小学校高学年の時期は割と楽しく過ごしていたような記憶がある。少なくとも訳もなく泣くなんていう精神状態からは脱していた。 これ以降、大人になってからもこの子供時代ほど不安定になることはなかった。圧倒的に暗い時代だったと思う。

 

 

しかし、中学に上がってからはまた別の悩みに苛まれるようになる。この頃始まった悩みは以降何十年も、今現在に至るまで私を悩ませる事柄になる。

 

人の第一印象は見た目が9割とかいう。

私はその第一印象が殊更に悪いらしかった。子供時代に培われた圧倒的暗さ、自身も内向的な性格というのにプラスして、容姿そのものも悪かった。

 

中学2年になる頃には同級生から陰で「きもい」と言われているようだった。それでも仲良くしてくれる人が何人かいて、3年間を何とか過ごすことができた。

 

高校生になってからも、やはり友達ではない周りからは「きもい」と言われつつも数少ない友人とともに何とか3年間をやり過ごした。この中学高校時代に一緒にいてくれた数人の友人には感謝しかない。

 

いじめに遭うことはなかった。いじめの対象にすらしたくない程関わりたくなかったのか、存在感がなかったのか…今でもわからないが。

 

ただ、意味もなく見た目だけで嫌われるのはやはり辛い。高校を卒業する頃には私はすっかり自信をなくし、人前に出る事がかなり嫌になっていた。

 

大学に進学してからも同じ状況は続いた。

この頃から「きもい」といわれる人数がクラスだけにとどまらず、通学の道すがら全く知らない人からもすれ違いざまに言われるようになった。

 

中学高校時代とは違い、電車通学ともなるとこの容姿を人目に晒す機会がふえる。大学内にも人はたくさんいる。

 

大学に入ってからは人目が恐怖にすらなっていた。なんとなく親しい人はいたけれど、その人以外は私に話しかけようとはしなかった。

 

私も嫌がられるのが分かっていたから自分から話しかけようとしなかった。勉強も高校の時とは格段に難しく、ついていけず私は休みがちになり、自宅に引きこもりがちになっていった。

 

今思えば中学時代から続いたこの悩みに疲れてきたというのもあったと思う。でも、容姿なんて整形でもしない限り変えられない。そんな勇気もお金もなかった。

幼少期の諸々

3歳に気管支喘息を発症するまでは活発な子だったらしい。

 

でも発症して以降は元々の気質も含めてか、無口で内向的な子だった。

 

呼吸器が弱いとしょっちゅう風邪をひくし、それがきっかけで喘息の発作が起こったりする。外で走り回って遊んだら発作が起こる。体が元気であっても精神的に不安定になることでも発作は起きる。季節の変わり目や寒暖差でも起こったりする。そうやってしょっちゅう発作が起こると、何でもない時に「また発作が起きるかも」という予期不安が生じる。

 

そんなこんなで私は普段から心身共に自信がなく陰気な子に成長していった。

幼稚園や小学校も休みがちで、人見知りも手伝って友達もできにくかった。クラス替え直前でやっと仲良くなった子がいて、次の学年ではその子とクラスが離れてしまい、振り出しに戻るといった具合いだ。まぁ、こういうことは人見知りの人あるあるかな。

 

詳しく書くと長いから省略するけど、一時期不登校してたこともあった。

この頃は家にいても居心地が悪かったし、本当に辛かった。元々不安定だった精神が、自分の手に負えないくらい悪い状態になった。夜も眠れないし、毎日なんで泣いてるのか分からないまま泣いて…今思えば鬱だったのかもしれない。あの頃一生分泣いたんじゃないかと思う。家族にもたくさん迷惑をかけた。

 

 

たまに用事があってこの頃に暮らしていた街に出向くことがあるが、あの頃の哀しみと喘息を思わせる息苦しさに胸がひゅっとする。